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七福神はどんな神様?それぞれのご利益を解説!

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七福神ってよく聞くけどどんな神様?どんなご利益があるの?

本記事の内容

よく神様の象徴としてあげられる七福神様。お正月などでよくみかけますよね。意外にも日本の神様のルーツはインドにある事を知っていましたか?七福神のそれぞれの特徴やどんなご利益があるのかという点を踏まえながら解説をしていきたいと思います。

本記事の信頼性

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七福神とは?画像で解説!

七福神とは、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の7つの神さまを称していう言葉です。福をもたらすとされています。

七難即滅、七福即生と言われるように、七福神をお参りすれば、七つの難から逃れるとも言われ、室町時代から庶民に親しまれてきました。

 

大黒天

食べ物や財福をつかさどる神さまで、大国主命の習合です。打ち出の小槌と大きな袋を持ち、米俵の上に乗った姿であらわされることが多いです。もとはインドの想像と破壊の神・シヴァ神の化身であるマハーカーラという神さまでした。シヴァ神が世界を破壊するときにこの姿になるといわれ、恐ろしい表情をしていました。
「マハー」はサンスクリット語で「大」、「カーラ」は「黒」という意味です。仏教に取り入れられた後日本に伝来しましたが、日本古来の神さまである大国主神(おおくにぬしのかみ)の「大国」と「大黒」が似ていることから同一視されるようになり、現在の優しい表情をした大黒天になりました。

毘沙門天

福徳増進の神さまです。甲冑を身にまとい、右手には先が三つに分かれた矛(ほこ)を、左手には宝塔(仏教の一重の塔)を持った姿であらわされることが多いです。にこやかな七福神のなかで、ただ一人怒ったような表情をしていることがあります。
もとはインドの神さまで、ヒマラヤの山に住みインドの北を守る神さまとされていました。
仏教に取り入れられてからは仏法(仏の説いた教え)を守る四天王の一人として、北の守護神とされるようになり、日本に伝来しました。別名を多聞天といいます。戦いの神さまとしても知られ、上杉謙信などが信仰した軍神です。

恵比寿天

イザナミとイザナギの子どもで、漁業の神さまでしたが、次第に商売繁盛、五穀豊穣など、商業、農業の神さまとなりました。平安時代の貴族の装束である狩衣(かりぎぬ)を着て烏帽子(えぼし)をかぶり、手には釣り竿、脇に鯛を抱えた姿であらわされることが多いです。
七福神の中で唯一の日本の神さまで、一説によるとイザナミとイザナギの第一子・蛭子(ひるこ)のことであるとされています。
「釣りして網せず」のお姿から、暴利をむさぼらない清い心を持った神さまであると考えられ、商売繁盛の神さまとして広く知られるようになりました。恵比寿(えびす)は、恵比須・戎・夷とも表記されます。

寿老人

 

道教の神さまで、南極星の化身です。鹿を従え、手には巻物をつけた杖や桃などを持ち、白くて長いひげをたくわえた長頭の老人の姿であらわされることが多いです。鹿や桃は長寿の象徴とされています。実は、寿老人のモデルは福禄寿と同じ仙人です。福禄寿と寿老人の姿が似ているのもうなずけますね。日本では別の神さまとして受け入れられたのですが、寿老人を七福神と考えない地域もあり、その場合は吉祥天(インドの美の女神)や猩々(大酒のみの猿の姿をした霊獣)を七福神とします。寿老人は、中国・宋代、元祐年間(1086年~1093年)伝説上の人物(南極老人=道教の神)。
道教の星辰崇拝(せいしんすうはい=太陽・月・星を、神秘的な力をもつものとして崇拝する思想)に由来する南極老人星(カノープス=Canopus/りゅうこつ座α星)の化身。中国古代の四大民間伝説『白蛇伝』、中国明代に大成した伝奇小説『西遊記』、明代に成立した神怪小説『封神演義』などに神仙として登場しています。

禅宗伝来後に水墨画の画材などとして日本に伝来し、福徳施与の神として信仰されるように。
福禄寿はこの寿老人と同一神なので、吉祥天が代わりに七福神に加えられることもありました。

福禄寿

 

道教の神で長寿と福録をもたらします。杖や巻物を持ち、白くて長いひげをたくわえた長頭の老人の姿であらわされることが多いです。鶴を従えていることもあります。もとは中国の道教の神さまで、南極老人星(りゅうこつ座のカノープスという星)の化身と考えられていました。
南極の星であり中国ではめったに見ることができなかったため、世の中が平和なときにのみ出現するめでたい星や、皇帝の寿命を支配する星と信じられていたようです。道教における福星・禄星・寿星の三星を神格化したもの。つまりは福、禄、寿という3人の仙人(三福神)のこと。
道教で強く希求されるのが福(幸福)、禄(富貴)と寿(長寿)なのです。中国の春節には福・禄・寿を描いた「三星図」(福禄寿三星図)を飾り供物を奉げ、1年間の幸せを祈願する風習があります。日本では福禄寿は一人なのですが、本来の姿は3人だったのです。

福星は木星のこと。
禄星は、北斗七星の魁(かい)と桝(ます)の部分の上方にある星座「文昌宮六星」のなかの第6星といわれています。
三星のうち寿星は南極老人星(カノープス=Canopus/りゅうこつ座α星)なので、寿星が単独で伝わったものが寿老人、三星一体が福禄寿ということに。

弁財天

七福神の中では唯一の女神で音楽、弁才、財福、知恵の徳がある天女です。知恵や弁舌、縁結びをつかさどるともいわれています。
七福神のなかでは唯一の女性の神さまで、羽衣をまとい冠をつけ、琵琶(びわ)を弾く天女の姿であらわされることが多いです。
インドの神話にでてくる水神サラスヴァティがモデルだと考えられ、仏教に取り入れられたあと日本に伝来しました。弁天さまと呼ばれ人々から親しまれています。弁才天は、弁財天と記される場合も多いのですが、実は意味が大きく異なります。
そのルーツは、ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上に座っています。
サンスクリットでサラスヴァティーとは「水を持つもの」の意で、水と豊穣の女神。
中国に弁才天として伝わったものが、仏教伝来時に経典の一つ『金光明経』(こんこうみょうきょう)とともに日本に伝わりました。
聖武天皇(しょうむてんのう)は『金光明最勝王経』を写経し、天平13年(741年)には諸国に金光明四天王護国之寺を建立します(国分寺の塔には金字の『金光明最勝王経』を安置しました)。
実は、この『金光明経』には、この経典を読誦する国(国王)は、四天王に守られ繁栄すると記されていることから鎮護国家の経典になったのです。
さらに『金光明経』では弁才天と四天王を称賛していることから、弁才天信仰が生まれています。
日本の八百万(やおよろず)の神々は、実は様々な仏や菩薩の化身だという神仏習合の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が隆盛すると、弁才天は日本神話に登場する宗像三女神の一柱・市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されるように。神社で弁才天・弁財天が祀られるのはそのため。
日本三大弁天とされる広島県の厳島神社・大願寺、神奈川県の江島神社、滋賀県の都久夫須麻神社(竹生島神社・宝厳寺)ではいずれも市杵嶋姫命と弁才天の神仏習合です。

 

布袋尊

仏教の禅僧で、袋から財を出し与えてくれます。太鼓腹で着物を着崩し、大きな袋をもった僧侶の姿であらわされることが多いです。七福神のなかでは唯一実在した人物で、一説によると中国の唐代末期の禅僧・契此(かいし)がモデルであるとされています。契此(かいし)は、大きな布の袋に施された食べ物やもらい物を入れて放浪生活を送っていた僧侶ですが、彼の占いは百発百中だったそうです。中国では、釈迦の没後56億7千万年の頃に現れ人々を救う弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身と考えられています。

七福神の由来は、中国の八福神であるという説もあれば、最澄が比叡山で大黒を台所の神さまとして祀り、それが民間に広まるうちに、従来の土着信仰の神さまが加わり、3神から徐々に増えていったとする説もあります。

七福神のひとり 布袋様のご利益とは?

上でも解説を簡単にしましたが、布袋様は「度量の広さ」や「大量」を意味する七福神です。大量とはいわゆるどんなことでも笑って許すような心の広さも表しているので、度量の広さにつながっているのでしょう。この布袋様は実在した人間が神様として祀られているので、七福神で唯一神様になった人間ということになります。

この布袋様のモデルになったのは中国の僧である「契此(かいし)」です。この契此は定応大師という別名を持っている僧で、唐の末期に存在していたといわれております。この中国の逸話の中でも「常に袋を背負っていたから布袋というあだ名がついた」と記載されており、見た目はおそらく現在の日本で伝わっていたものと変わらなかったのでしょう。

それ以外にも「額が広くにこやかな顔をしていた」とか「体が肥えており背は低く太鼓腹だった」とか「腹が出た姿だった」とか「お寺には属せずずっと放浪していた」とか「占いが非常にうまかった」という逸話があります。

また、死の間際に残した偈文が「弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり時時に時人に示すも時人は自ら識らず」というものだったので、実は弥勒菩薩の化身であると考えられるようになって中国では信仰されるようになったといわれております。

この布袋様という存在が室町時代の日本に入ってきて、水墨画に描かれる存在として人気になり福の神の一柱となったのでしょう。

ただし、この七福神の象徴である宝船などの乗る順番は日本に伝わってきた速さや日本で誕生した速さとなっておりますので、室町時代に伝わったとされる布袋様や寿老人や福禄寿は後ろのほうになってしまいます。ただし、布袋様や寿老人や福禄寿は伝わった順番がはっきりとわかっておりませんので、その順番は並べる側の判断にゆだねられるでしょう。明確な順番がはっきりしない場合はおそらく人気やその地域の考え方によって決まるので答えはありません。

大黒天と恵比寿様の誕生もどちらが早いのか明確ではないので、入れ替わることもしばしばあります。

どんなご利益があるのか?

布袋様のご利益は子宝・全体運アップ・縁結び・金運アップ・商売繁盛・無病息災・夫婦円満などいろいろとあるのです。その中でもメジャーとなっているのは大きなおなかで子供と遊ぶ「布袋唐子図」であり、そこから子宝の神様というイメージが定着したのでしょう。また、布袋様の持っている袋は「堪忍袋」であるという考え方が一般的で、度量の広さを意味する七福神としてそれだけ大きな堪忍袋を持ってにこやかにしていることから「度量の広さ」につながったのは納得です。

個人的な意見ですが、福禄寿や寿老人と比べると布袋様はかなり人気のある神様と感じており、知名度も高いであろうと感じております。

どこの寺院に行けばよいのか?

毘沙門天や恵比寿様と比べると祀ってある数はかなり落ちますが、それでもしっかりと存在します。東京にある橋場寺不動院、京都にある万福寺、兵庫県にある清荒神清澄寺あたりが有名でしょう。橋場寺不動院はお不動さんがご本尊なのですが、そこに布袋様がいるので七福神巡りに立ち寄る場所となっています。

浅草寺から歩きで25分の場所にあるので浅草七福神巡りの一角を担っているので訪れる人も多くなっています。また、第二次世界大戦において焼かれなかったということも霊験あらたかな場所というイメージが定着するポイントとなっており、パワースポットとして扱っている人もいます。

万福寺は日本最古の七福神めぐりが行える場所として有名で、京都で七福神巡りをしたいという方は高確率で巡る場所となっております。毎月8日は弥勒菩薩のご縁日として「ほていまつり」を行っているので、タイミングを調整して訪れる方もいます。JR奈良線の「黄檗駅」を下車して歩いて5分の場所にありますので、比較的向かいやすいのもポイントでしょう。

恵比寿様のご利益とは?

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恵比寿様の意味や由来は?

恵比寿様は七福神の一柱であり、「えべっさん」とか「えびっさん」という愛称でも知られている神様です。他の七福神はインドのヒンドゥー教における神様との習合をはたしていたり、道教からきた神様となっているのですが、恵比寿様は完全に日本由来の神様なのでより人気が高まっております。

古くから漁業の神様として祀られてきた恵比寿様は、恵比寿様は「恵比寿」と書くこともあれば「蛭子」と記載することもあります。こちらの「蛭子」はヒルコと読むことも可能で、伊邪那岐と伊邪那美の子で古事記の中では初めての子であり日本書紀では天照大神や月夜見の次に生まれた神様となっております。

古事記では3歳になっても立てないという不具の子供ということで天磐櫲樟船(アマノイワクス船)に捨てられてしまいます。そこで流れ着いた場所で西宮神社のご祭神となってえびす信仰と習合し今の恵比寿様となったといわれております。

神仏習合において日本の神様と習合している恵比寿様ですが、そのお相手は蛭子以外に事代主神や少名比古那神や火々出見命など多岐にわたっています。ただし、一般的に広まっているのは蛭子や事代主神との習合です。

神話に登場しない民間信仰にも漢字ではない「えびす信仰」というものが存在しているのですが、これは「砂浜などに打ち上げられた漂着物を神聖なモノと扱う」という考え方です。古来から日本は海の向こうに常世の国という神様が住む国とか大いなる存在が住んでいるという考え方があり、海からの漂流物を福をもたらす神聖なモノと考える傾向にあったのです。

これらの考え方と蛭子や事代主がまじりあって今のような恵比寿様となったのでしょう。

日本土着の神様である恵比寿様はかなり昔から信仰されている神様であり、大黒天が広まった日本ではセットで祀られてお祈りされることが増えます。

恵比寿様と習合されたといわれる事代主神は大黒天と習合された大国主の子どもなので、実質的に恵比寿様と大黒天は親子であるといえるのでしょう。それ故にセットで扱われるのもわかると思います。

どんなご利益があるのか?

恵比寿様はいわゆる大漁満足の象徴ですが、それ以外にも航海安全・五穀豊穣・商売繁盛・学業成就・歌舞音曲・開運招福というご利益もありますので、商売関連の業界では必須の神様となっております。

基本的に福の神の集合体が七福神なので、ご利益的にも強力な神々が集まっております。

その筆頭が大黒天や恵比寿様なので人気も集中しているのです。弁財天や毘沙門天もかなり人気があり全国に祀っている寺社仏閣が存在します。

弁財天様の真言の意味とは?

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真言とは?

真言とはサンスクリット語でマントラ(Mantra)と呼ばれる言葉で「真実の言葉、秘密の言葉」を意味します。
仏の言葉を音写したもので、仏や菩薩(ぼだい)の誓いや教え、功徳などを秘めているといわれています。
真言は浄土真宗を除く様々な仏教の宗派で用いられる呪文的な語句で、日本では真言宗や天台宗、修験道などの宗派で唱えられています。
真言の一字一字には多くの意味が含まれていて深意を訳すことは難しいため、サンスクリット語のまま翻訳されず漢字で音写されました。真言の中には見たり聞いたりするだけでも、利益があるとされているものもあります。

弁財天様の真言とは?

弁財天のご真言は弁財天呪と呼ばれる「オン・ソラサバタエイ・ソワカ」と宇賀神呪と呼ばれる「オン・ウカヤジャヤギャラベイ・ソワカ」です。

このように宇賀神呪があるということで、神仏習合がしっかりとされているという証拠にもなっていると思います。

弁財天を祀っている寺社仏閣は非常に多いのですが、その中でも有名なのが「日本三大弁財天」と呼ばれるものなので、多すぎてどこに行ったらいいか悩むという人はまずはこの3つを抑えておきましょう。それは滋賀県にある竹生島神社、神奈川県にある江ノ島神社、広島県にある厳島神社となっています。

ただし、厳島神社にある弁財天像は神仏分離令の影響で厳島神社の神宮寺に該当する大願寺に祀られているので注意しましょう。

この日本三大弁財天以外にもこの3つを含んだ「日本五弁天」が総称として存在し、そちらには宮城県にある金華山黄金山神社や奈良県にある天河大辯財天社も該当します。

大黒様にお願いをするにはここの神社に参拝しよう!

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大黒様にお願いごとをしたいけど、一体どこの神社に行けばいいのか分からないという方へ。一部ではありますが大黒様が祭られている神社をご紹介します。

大黒様(だいこく様)を祀る日本でも有名な神社や寺院をご紹介します。

明治以前は神社も寺院も関係なかったのですが、神仏分離令の後、神社では大国主命(オオクニヌシノミコト)や少彦名命(スクナヒコナノミコト)と表記され、寺院では大黒天と祀られるようになります。

出雲大社(島根県)|大国主命としての大黒様

出雲大社は日本でも有数の神社で最近では「縁結びのご利益」で女性からも人気の神社ですね。

天照大御神に大国主命が国を譲られる時に約束をした、大宮殿を造営したとされる地に建つという由緒ある神社です。

出雲大社ではご拝殿で拝んだ後、本殿の西側に回って拝むのが良いとされることはご存知でしょうか?

だいこく様(大国主命のご神体)はご本殿の中で西側を向いていると言われます。

そのため、だいこく様にお祈りを聞いていただくには本殿西側にあるお賽銭のあるところに回り、参拝するのが良いといされています。

他の神社でもこのような習わしがあるところがありますが、有名なところというと、恵比須様を祀る今宮戎神社です。

ぜひ出雲大社を参拝された時はこういったことも意識してだいこく様にお願いをお聞き届けいただきましょう。

比叡山延暦寺(滋賀県)|豊臣秀吉が拝んだ三面出世大黒天

比叡山延暦寺は大黒様を日本に持ち込んだ最澄の創建された天台宗総本山です。

比叡山の台所に祀られた大黒様が日本の大黒様信仰に広がっていったとされます。

この比叡山延暦寺には豊臣秀吉が立身出世を祈願した三面大黒天像が安置されています。

この三面大黒天像は正式には三面六臂大黒天と言われ、3つの顔に6つの手を持つ大黒天像です。

ちなみに残り二つの顔は毘沙門天、弁財天が掘られていて、福徳開運・商売繁盛・出世開運などのご利益があるとして古くから信仰を集めるありがたい仏像です。

最澄上人が手づから彫られたと伝わります。

神田明神(東京都)|大黒様と恵比寿様を祀る

神田明神は東京の商売繫盛の神社として有名ですが、ご祭神がだいこく様である大己貴命(オオナムチノミコト)です。

大己貴命は大国主命の別名です。

神田明神では、少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀っています。
少彦名命は大国主命を助け、ともに葦原中津国(今の日本)の国造りをした神様で、神田明神では恵比寿様として祀られています。

少彦名命の神話の物語はご利益についてはこちらをご覧ください。

大国主神社(大阪府)

大阪にある大国主神社は大黒様を祀る大阪でとても有名な神社です。

ご参拝客には大阪の人のみならず、様々な都道府県から来ると言われていて大国主神社の有名な「種銭(たねせん)」というお守りがあります。

大国主神社の大黒様の種銭はご利益金運をあげると言われる有名なお守りで、財布に入れると良いと言われます。

弁財天を祀る神社ではそういったお守りが多くありますが、大黒様のお守りとしては珍しいのでぜひ財運・金運を向上させたいという方はぜひ一度お参りを。

ちなみに、大国主神社は敷津松之宮という神社の摂社となっています。

圓徳院(京都府)|秀吉にちなむ三面大黒天像

圓徳院は京都の高台寺の「ねねの道」を挟んで反対側にある寺院です。

八坂神社、清水寺の間にある場所で、とてもきれいな道で観光地にもなっていますが、この圓徳院には秀吉が出世祈願をして、ご利益にあずかった比叡山にあるものと同じ、三面大黒天像をお祀りしています。

圓徳院の大黒様のご縁日は毎月3日という少し変わっています。

ちなみに、日本で一番大きな大黒様の像は總持寺(神奈川県)にある180cmもの大黒天尊像、もしくは、舞子六神社(兵庫県)であると言われています。

 

日本の神様はインドからのルーツ?ヒンドゥー教の神シヴァとの関係

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シヴァとは?

インドで信仰されている宗教「ヒンドゥー教」の神様です。

世界を破壊する破壊の神として知られているシヴァ神ですが・・・日本の神様と比べると本当に面白い神話や、生々しさすら感じるその成り立ちなど、知れば知るほど面白い神様です。日本で江戸時代以前から庶民に親しまれている『とある神様』も元々はシヴァ神です。

シヴァ神はヒンドゥー教で最高神として崇められている三大神の一柱で、破壊を司る神様です。

ちなみにヒンドゥー教の三大神とは、以下の三柱。

  1. ブラフマー「創造」
  2. ヴィシュヌ「維持」
  3. シヴァ「破壊」

この三柱が宇宙を作り、維持し、そして破壊する・・・そのサイクルで世界が回っていると考えられています。

 

シヴァはヴィシュヌと並んで人気が高く、シヴァを最高神として崇めるシヴァ派と、ヴィシュヌを最高神として崇めるヴィシュヌ派の二つがヒンドゥー教の二大宗派として広く信仰されています。ヴィシュヌが豪華な衣をまとい、神々しい姿で描かれているのに比べるとシヴァの服装は虎の皮と腰巻だけ。シヴァ神は人型で崇拝されるだけでなく、「リンガ」と呼ばれる男性器を模した形でも崇拝されます。「リンガ」は円状の台の中心から、円柱がそびえ立つ形をしています。インドの各所にあるリンガですが、シヴァ神の特徴でもある蛇を巻きつけたものや、手のひらサイズのものなど、形や大きさは様々です

山のような形に結わえた螺髪からは水が滴り、首に蛇を巻き手には三叉戟を持っています。神々しさというよりは、荒々しい印象を受ける姿ですね。

インドは中国の先にあるとっても遠い国だと思っている私達ですが、実はインド文化は、日本文化の発展に大きな影響を及ぼしています。インドの文化がなければ、日本の文化は今日のようではありません。

ルーツはインド神話の神様「マハーカーラ」

大黒天のルーツは日本ではなく、インドの神話にあります。大黒天はインドではサンスクリット語で「Mahākāla(マハーカーラ)」と呼ばれており、これはインド神話で破壊と再生を司る「シヴァ神」が、破壊神となったときの異名です。
日本では「mahā=大きい」と「kāla=黒い」を訳して“大黒天”と名付けられました。また、サンスクリット語の響きから「摩訶迦羅(まかから)」と呼ばれることもあります。
大黒天のルーツであるマハーカーラの特徴は、3つの顔に6本の腕を持つこと。体は青黒色か黒色で表されることが多いです。曼荼羅や彫刻などでは様々なファイティングポーズをとっていますが、一例を挙げると次の通りです。右手の第一手に剣を持ち、左手の第一手は切先に添えています。さらに右手第二手で人間を、左手第二手で羊を掴み、左右の第三手で象の皮を掲げています。いつも笑顔でぽっちゃり体型の日本の大黒天とは真逆の恐ろしげな姿をしています。

日本では「大自在天」と呼ばれる

1,000を超える異名をもつと言われているシヴァ神は、日本で「大自在天(だいじざいてん)」と呼ばれています。ヒンドュー教が仏教に取り入れられたときに「大自在天」の名を与えられ、3つの眼と8本の腕をもつ姿で描かれます。

また、「大黒天(だいこくてん)」もシヴァ神を表す名前です。「大黒天」は「七福神(しちふくじん)」の1柱として食物や財福を司ることから、日本では多く信仰されています。

まとめ

いかがでしたか?それぞれの特徴を踏まえて自分がパワーをもらいたい神社へ参拝する事ができるのではないでしょうか?インドがルーツの日本の神様。まだまだ知らない事が多く、掘っていくことで知識が増えて面白いですね。

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